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お盆は仏教行事?

神社まめ知識14『お盆は仏教行事?』

お盆は仏教行事というイメージがありますが
実は「お盆」は 日本古来からあった先祖祀り(まつり)がもとになっています。

神社又は神道の家庭でもお盆の時期には先祖祀りをしています。


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お盆は、多くの方が仏教の行事と思われていますが
元来は仏教伝来前からの日本固有の先祖祀りがもとになります。

ところが、江戸時代に入り、幕府が檀家制度によって
庶民の先祖供養を仏式にするようにしたため
お盆も仏教のみの行事と誤解され、現在に至っています。

ですから神道の家庭においても
お盆の期間中には、自宅の祖霊舎を清めて
季節の物などをお供えし、家族揃って御先祖さまをお祀りします。

日本では、古くから神祭りと共に
御先祖さまの御霊を丁重にお祀りする祖霊祭祀がおこなわれ
人々は神と祖霊の加護により平安な生活を過ごしました。

この神とは唯一絶対の神でなく
自らと繋がりのある御先祖さまが
徐々に昇華して神となった御存在であると信じてきました。

年中行事の中でお盆と正月が二大行事として重視されるのも
お盆が御先祖さまを、お正月が神様をお祀りする行事として
いづれも我々と繋がりのある祖霊や神々をお招きするという
意味を持つからなのです。

仏教行事のお盆は
『盂蘭盆経(うらぼんえ)』という経典によるものであり
仏弟子の日蓮が餓鬼道に落ちて苦しんでいる母親を救うために
釈迦の教えで、七月十五日に安居(あんご・修行)を終えた僧侶を
百味の飲食(おんじき)を供えて供養したところ
その功徳により母親を含め、七世の父母(七代前の先祖)まで
餓鬼道から救済することができたという孝行説話に基づくものです。

仏教が日本に伝来すると、こうした盂蘭盆会の行事が
諸寺院において行われるようになりました。

当初は僧侶の供養が中心だった「盂蘭盆会」は
その後、日本の祖霊祭祀と結びついて
ご先祖さまを祀る「お盆」となりました。
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当社も明治になるまでは本社の八幡宮と神宮寺としての八幡山別当長壽寺があり
先祖が代々別当職(べっとうしょく)として奉仕しておりました。

明治時代になり廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により 江戸時代最後の八幡山別当快善
還俗し 名前も宮城豊重と改め(明治3年2月) 明治43年まで奉仕しました。

豊重(快善)は嘉永元年(1848年)先代別当栄照が亡くなると
17歳にして別当に就き 以後明治43年80歳で亡くなるまで
宗教者として激動の時代を生きてこられました。

我が家のお墓も仏式と神道式の2種類あり 墓所も3か所にわかれています。


地鎮祭とは

神社まめ知識13

地鎮祭とは、建物の新築や土木工事の起工の際などに、その土地の神様を祀り
工事の無事進行・完了と土地・建造物が末長く安全堅固であることを祈願する
ためにおこなわれる祭りです。

一般には「じまつり」などとも呼ばれ、国土の守護神である大地主神(おおとこぬしのかみ)と
その地域の神様である産土神(うぶすなのかみ)、またその土地の神々である
「此の地を宇志波伎坐(うしはきます)大神等」をお祀りします。

地鎮祭は地域によりお祭りの仕方が異なる場合もありますが、基本的な祭儀の流れは
神社の祭儀とほぼ同様です。そのなかでも特徴的なこととして三つの行事がおこなわれます。

一つは祓(はらい)の行事であり、四方祓(しほうはらい)の儀と称して、祭場四方の敷地を
大麻で祓ったり、半紙と麻を切って作った切麻(きりぬさ)などを撒き、祓い清めます。

二つ目は起工の行事であり、刈初(かりぞめ)の儀・穿初(うがちぞめ)の儀と称して
施主・施工者が忌鎌(いみかま)・忌鍬(いみくわ)・忌鋤(いみすき)などにより、草を刈り
地を穿つ(掘る)所作をおこない、神様に工事の開始を奉告します。

三つ目は供物の行事であり、鎮物(しずめもの)埋納の儀と称して、神霊を和め鎮めるために
鎮物の品を捧げて工事の無事安全を祈念します。


氏神さんと崇敬神社

神社まめ知識12

全国の神社については、皇祖(こうそ)天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする伊勢の神宮を別格の御存在として、このほかを氏神神社と崇敬神社の二つに大きく分けることができます。

氏神神社とは、自らが居住する地域の氏神様をお祀りする神社でありこの神社の鎮座する周辺の一定地域に居住する方を氏子(うじこ)と称します。

元来は、文字通り氏姓を同じくする氏族の間で、自らの祖神(親神)や氏族に縁の深い神様を氏神と称して祀ったことに由来し、この血縁的集団を氏子と呼んでいました。

現在のような地縁的な関係を指しては、産土神(うぶすながみ)と産子(うぶこ)という呼称がありますが地縁的関係についても、次第に氏神・氏子という呼び方が、混同して用いられるようになりました。

これに対して崇敬神社とは、こうした地縁や血縁的な関係以外で、個人の特別な信仰等により崇敬される神社をいい、こうした神社を信仰する方を崇敬者と呼びます。

神社によっては、由緒や地勢的な問題などにより氏子を持たない場合もあり、このため、こうした神社では神社の維持や教化活動のため、崇敬会などといった組織が設けられています。

氏神神社と崇敬神社の違いとは、以上のようなことであり、一人の方が両者を共に信仰(崇敬)
しても差し支えございません。


境内の小さなお社(摂社・末社)

神社まめ知識11

神社の境内にある小さな社は摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)といいます。
摂社、末社も本社に附属する神社ですが、現在では特に両者を区分する規定はなく
本社の管理下にある小規模神社の呼称として用いられています。


現在でも摂社・末社の呼称は、戦前の基準による区分をそのまま用いていることがありますが
特に本社との由緒の深い神社には摂社の呼称が用いられています。
摂社・末社については、本社と同一の境内地で祀られている境内社と、境内地外で祀られている
境外社といった区分もできます。

このほか、伊勢の神宮や京都の石清水(いわしみず)八幡宮などでは、特に本社御祭神と関係の
深い社を別宮(べつぐう)と称しています。

伊勢の神宮においては、内外両御正宮の他に、これに次ぐ尊い社として両宮それぞれに別宮があり
『延喜式神名帳』(えんぎしきじんみょうちょう)に載る式内社が摂社
『延暦儀式帳』(えんりゃくぎしきちょう)に載る社が末社、両書に記されていませんが
神宮との密接な関係により古くから祀られてきた社が所管社と称されています。

「伊勢の神宮」とは、両御正宮のほか、別宮・摂社・末社・所管社を含めた125社の社の総称をいいます。



伊勢の神宮

神社まめ知識10 伊勢の神宮
神宮
(写真お借りしました)

日本全国にたくさんある神社の中で、古来特別な神社として敬われてきたのが伊勢の神宮です。
伊勢の神宮は、正式には神宮とのみ申し上げ、三重県伊勢市とその周辺に鎮座する百二十五のお社の総称です。

その中心は、皇室のご祖先である天照大御神をおまつりする皇大神宮(内宮)と
天照大御神のお食事をつかさどり、衣食住はじめ産業の守り神である豊受大御神を
おまつりする豊受大神宮(外宮)です。

今から2000年以上前の第11代垂仁天皇の御代、天照大御神のお告げにより皇大神宮がまつられ
約500年後の第21代雄略天皇の御代には、豊受大御神が伊勢に迎えられました。

神宮では年間約1500回ものお祭りが行われていますが、神宮の、また日本国中で最高最大の
お祭りは式年遷宮というお祭りです。

式年遷宮は、20年に一度すべてのご社殿をはじめご神宝などを新しく造り替えるお祭りで
そうすることでみずみずしさを保ち、ご神威が高まることを願ってきたのです。

第41代持統天皇の御代に始まったこのお祭りは、平成25年に第62回が執り行われます。



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