訃報

「皆で伊勢神宮に」
2012.6.6 23:17
『今年は皆で伊勢神宮にお参りにいきましょう』とおっしゃったほど、元気なご様子だったのに…。

 寛仁親王殿下と親交のある京都市東山区の会社役員、奥谷かをるさん(53)は寛仁さまが会長を務める福祉団体「柏朋(はくほう)会」の会員。長年の交友があり、平成20年に声帯を取る手術をご選択した際は「『声をとるか食道をとるか』と医師に迫られたとき『声を失っても私にはペンがある』と言ったんだ」と奥谷さんに明かされた。

 奥谷さんは「闘病中でも何事にも精力的に取り組んでおられた。あの微笑みをもう拝見できないと思うと悲しい」と言葉を失った。

 長女の彬子さまが美術研究員として勤務する銀閣寺(京都市左京区)の住職で臨済宗相国寺派の有馬頼底管長(79)は、寛仁さまとも親交があった。「高貴な雰囲気の半面、話し始めるとざっくばらんなお方だった」

 冗談も好きで、京都の老舗が自慢の一品を出すイベントに参加された際には、和菓子店の店主に「老舗なんだね。何代目なの?」とご質問。店主が「三十数代目になります」と答えると、「うちは百代以上だよ」と言って周囲を笑わせられたという。

 有馬管長は「66歳での逝去は若すぎるし、本当に惜しい方を亡くした」と唇をかみしめた。

 一方、寛仁さまと30年来の付き合いがあるという公益財団法人「ひょうご子どもと家庭福祉財団」(神戸市)の片岡實理事長(68)は「同じ志を持つ仲間のようだった」と振り返った。

 昭和50年代に片岡さんが障害のある子供たちのため、自立的な生活が送れる施設を作ろうとしたことがご交友のきっかけ。活動に賛同した寛仁さまが応援の手をさしのべられたという。

 昭和56年に「はりま自立の家」(兵庫県宍粟市)がオープンした際は、自らテープカットもされた。印象に残っているのは、音楽を奏でる入居者に「目指すなら一流を目指せ。障害があるからこれくらいで良いと満足するな」と励まされたことだった。

 片岡さんは「障害に甘える気持ちを理解しつつ、優しく諭されていて、その通りだと思った」と話し「儀礼的なことがお嫌いで、ユーモアあふれる方だった。またお会いしたいと思っていたのに、さみしい」と別れを惜しんだ。

 さらに、親交があった日野原重明・聖路加国際病院理事長は6日、講演で訪れていた山口県下関市で「歯切れがよく行動力と決断力のある方だった。特に難病の人たちの援助のため、自分を顧みず人のために尽くそうというところがおありだった。昨日お見舞いにうかがった時には、もう意識はなかった。静かな人生の終焉を迎え、60代であっても自分の人生を全力投球でやりつくされたと思う」と話した。
(産経新聞より)
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